地震

親戚の叔母さんと連絡がつき、無事だったとの事です。ホッとしました。連絡がつかないといえば、地震の真只中にいた時に「無事だ」と家族に連絡を出来ないものだ、と身を持って感じた出来事が二回。一度は阪神大震災の時で、棚やなんかがバタンバタンと倒れてしまい、電話がその下敷きになっていました。子機は別のところにあったのですが、下敷きになっている親機の受話器が飛んでいて通話不可能。親も心配して電話するけどつながらずで心配をかけました。そして北海道にいた時の地震奥尻に大きな被害があり、その時に私は稚内から礼文島に向かいました。親は奥尻礼文もなんだかわからなかったらしく、かなり心配をかけてしまいました。私は「奥尻でなく礼文だから」というのが頭にあって「大丈夫」という報告を電話代もかかるから、とまったくするつもりがありませんでした。泊まっていた民宿に電話がかかってきて、その時に親の心配がわかりました。